3連休、世間が成人式だ何だと晴れ着姿で浮かれている間、私は自宅という名の独房で、ウイルスと「我が子」という、愛すべき、しかし対話不能な二大怪獣を相手にワンオペの防衛戦を繰り広げていた。
高熱に浮かされながら、上の子の「遊んで」と下の子の「抱っこ」の波状攻撃をさばき、床にぶちまけられたおもちゃを這いつくばって回収する。その姿は端から見れば聖母の献身か。いや、実際は単に逃げ遅れた敗残兵の末路だ。鏡に映った自分の顔は、暴落時のチャートより悲惨な角度で垂れ下がっていた。
そんな私が「人生の損切り」を真剣に検討していた一方で、マーケットだけは勝手に強気な姿勢を見せている。皮肉なものだ。私の生命力が我が子たちに吸い取られて減退するのと引き換えに、資本主義というモンスターは脂が乗ってきたらしい。
年始5連勝のアノマリーという「救い」
2026年の米国市場は、幸先よく「年初5営業日プラス」という条件をクリアした。
この「最初の5日間」のアノマリーは、統計的にはその年がプラスで終わる確率が8割を超えるという、投資家にとっては数少ない「信じてもいい神話」の一つだ。私の体調が明日までに回復する確率が、我が子が大人しく昼寝をしてくれる確率と同様に限りなくゼロに近い現状において、この8割という数字は非常に甘美に響く。
自問してみる。果たして今年の株価は上がるのか?
自答する。統計上は「勝ち確」の特急券を握らされている状態だ。私が布団の中で「あ、これ死ぬな」と思っている間も、米国経済は着実に「お前を置いていくぞ」と背中を見せてくれていたわけだ。実に合理的で、清々しいほどに非情だ。
高市解散と、現金な日本市場
そして日本市場。連休明け、高市首相の「早期解散」という噂だけで日経平均が跳ね上がった。
政権側が「国民の声を聞く」という名目で、選挙という名の高額ガチャを回そうとしているのに対し、市場は「ご祝儀だ!」と即座に反応する。この浅ましくも素直な反応、嫌いじゃない。私が我が子たちによる「イヤイヤ解散総選挙」に翻弄されている間に、永田町はもっとスケールの大きい勝負に出るつもりらしい。
結論:生きるしかばね、株を眺める
結局のところ、私が高熱で死んでいようが、市場は非情にも、そこで希望に満ちて動き続ける。
今年の株高アノマリーが本物なら、私のこの「しかばね状態」も、将来の爆益のための生贄だったと解釈できなくもない。自虐を通り越して、もはや自分の不運が市場への貢献に思えてきた。優しい笑いが出るよ。
さて、ポートフォリオが私を救ってくれるのか。それとも、私が単に「我が子に蹂躙された高値掴みのしかばね」として歴史に刻まれるだけなのか。答え合わせは、せめて熱が下がってからにしたいものだ。
株高のアノマリーを信じる前に、まずはOS(体力)の再起動が必要だ。おやすみ、世界。

